無くなった鍵
無くなった鍵
いつも、台所のテーブルの上に鍵を置いています。それが先日、無くなっていたいのです。詳細は割愛しますが、状況証拠から、下の子が鍵で遊んでいた可能性があるのです。
思い込み、決め込みは賢い選択ではありませんが、可能性の一つとしてあったのです。そうして、子供に訊いてみます。怒らないように、叱らないように、恐れを抱かせないように。
この時点では子供が関係していない可能性もあります。おそれを抱かせると奇跡は起きません。萎縮し、ともすると守るために嘘をつくことさえあります。
そうして訊いてみると、遊んだ、ということは確かなようでした。
最初に答えた場所には見つかりません。他の場所かなぁ、と訊いてみると、次の場所が浮かびます。
そうして探していると、ありました!
なんと、野菜の中に埋もれていました(笑)
自分では絶対に見つけることはできないような場所でした。まさに物を持っていく小さいおじさんの正体ですな。
こういうことも『奇跡』だと思うのです。最大のポイントはおそれを抱かせないこと。『赦す』ことでしか『癒し』も『奇跡』もありません。赦せばいいのです。笑えば、いいのです。
いつもいつもいい顔はしていられないかも知れません。でも、そんなことを思い出していただければ、『奇跡は日常』になるかもしれませんよ^^