スピリチュアルと言っても
スピリチュアルと言っても
ここ十年、スピリチュアル・霊性に目覚め、取り組んできました。
初めのころは、それに取り組んでいる人すべての方を一括りとして見ていました。ところが、探求していくと、どうやらそうではないということに気づきます。
何事もそうですよね。深めれば深めるほど、知れば知るほど、その微細な差異に気づくようになる。そうして、自分を知ることになるのです。
大まかに言ってしまうと、スピリチュアルの道を歩んでいる人は皆やさしく、穏やかで、知性に富んでいる、そんなイメージでした。その通りの方もいます。でも中には、そんな聞こえのいいことを言うのだけれども、その節々で、矛盾を感じる言動が見て取れるのです。
その人の思いを話しているときはそうであっても、日常のふとした瞬間、例えば、穏やかでいましょう、というようなことを説いていて、穏やかでない言動をしていたりします。
それは本人様の学びの途中であることに過ぎないのですが、そんな表面的なことに目を奪われてしまうことがありました。
それを批判するつもりは一切ありません。
それどころか、それこそが『私』であるのです。
外に見える世界=私の内面。
それがわかるようになっています。
自分の内側にある、自我。
中心にいられないとき、ソレは力を持ちます。
にょろりと、顔を出すソレ。
私の内側にも、あります。
内側にあるのだけれども、中心にはいません。
だから、いつでも、心が揺れるときは、ソレを自分だと勘違いしているとき。
だから、いつでも、するべきは自分の中心に戻ること。
その存在で在ること。
ただそれだけなのです。