耳で観る
耳で観る
以前もこのタイトルで記事を書いた記憶があります。
ただ、改めてそれを観じたの内容を変えてまた書きます。
目で見ず、耳で観る。
音から、ビジョンを受け取る。
目で見てわからないことを、耳で観て感じる。
通勤の歩いているとき、視野の活用を減らし、耳への意識を高めて遊んでいます。耳に入ってくる情報で、世界を受け取るのです。
天ぷらや餃子など、料理で考えるとイメージしやすいかもしれません。それらは『音』で判断します。具体的には水分が減ると音に変化が出るので、軽い音になってきたら火が通ってきた証拠だよ、と判断します。
ではそれを整体セッションで活用するならどういうことなのだろう?
と、いつものすり合わせを行います。
整体で?
耳で?
は?
みたいな感じで疑問と答えとエゴの声が混じります。
このすり合わせ、他のことでも例えることができない場合、私の場合真理として受け取ることができません。だから、真理であれば、不変のものであれば、必ず共通点があるはずです。
これはこうで、これには当てはまらない、ということはないのです。
で、整体で聞こえる『音』?
クラック音(瞬間矯正した時のボキッていう音)?
お腹がグルグル動いているときの音?
聞こえないけど、自分の中でイメージする音?
どれもしっくりきません。ものによってはこじつけです。
そんな自問自答を続け、受け取れない答えから導き出すのは、それは真理ではない、あるいは、気づけていないだけで受け取るまで訊き続けることが必要、のどちらかなのです。
そうして、ふと、気づきました。
耳、聞こえるもの。
セッションで受け取っているもの。
『インスピレーション』
それは時に『声』として聞こえてきます。
すでにやっていたことです。とても馴染んでいたことです。
それなのに、すぐには気づけなかった。
それもまた、面白い体験。
そう、気づけば、盛岡自然整体-aru-では『耳で整体をしておりました』(笑)