強い人への違和感
2019.01.18
カテゴリ:気づき
強い人への違和感
正論を言っているようでも、感じることがあります。
強い人への、違和感。
また変な話、正論でなくても、主張の強さがあれば、一定の支持を得てしまいます。
それはなぜか。
この世界が二元の世界だからです。
つまり、正しくもあり、間違いでもある。
これが同時に存在します。
見方の違いがあるだけなのです。
だから、日本人は特にかもしれませんが、強く言われてしまうと、そうかもしれない、と思ってしまうのです。
正しさを主張するその強い声に感じる違和。
不思議と、私と思っていることや感じていることが同じような気がするのに、なんか違う感じ。それがなんだかわかったような気がします。
唱えると主張の違い?
一部を除く多くの宗教と求道者の違い?
主張が強いのは、そこにエゴが存在するからなのでしょうか。
これが正しい、これを広めたい、皆これをしましょう。。。
いくら耳障りがよくても、やはりエゴの声は魂とは相容れるものではないのでしょう。
私は、優しさや静寂、穏やかさの中にある強さが好き。