隙を作るということ(未完の独り言)
隙を作るということ(未完の独り言)
ここ数か月、この感覚・ワードがよく浮かんできます。
車の運転などで表現すれば、譲られているとは気づかれずに譲る。相手に気を使わせることなく譲る、ということができるのです。
真理は普遍であり矛盾の無いもの。私はそう感じています。そうあるならば、真理は表面上のどんなことに対してでも適応する、と考えられます。
そうだとして、整体に置き換えてみたらどうなのかと考えてみました。
隙を創る。
治る隙?
解剖学的に正しい位置に調整すると痛みがなくなる、という理論があります。私も参考にしているものの一つです。これを完璧にこなし、一度でほぼすべての症状を取る、という先生を知っています。
隙の無い治療。
これはある意味治療家の目指すべき姿。
ただ、これは隙の無い治療。隙のある施術ではありません。
隙、伸びしろ?
目指すところが0から出発しての100であるなら、私だけで100には到達しない施術。ただそれだけだと未熟な施術。相手があっての施術、共同作業として100に到達する、施術、というよりセッション。
それが100のうち私が受け持つのが1なのか99なのかは分からない。だた、一つとならず分離した状態では完成しないもの。一つを目指すため、一つであることに気づくために懐の深みを創る・隙を創るということなのでしょうか。
隙を創る。
好きを創る。
まだ黙想が必要そうです^^