容器
容器
例えば、人にはうつわというものがあって、その大きさは人それぞれなのです。形も様々。丸や四角や三角。
ピッタリ形や大きさが合うという人はまずいなくて、でも合わせていくことはできるのです。そのためには、お互いに取り組むことと、気づきが必要になります。必要であれば時間を使うことになります。
先日感じたのが、相手は大きな四角で、私はそれより10分の一くらいの小さな三角。当然、合いません。でも、重なっている部分はあるのです。私の小さな三角全てが重なっているわけではなくて、半分くらい重なっているという感じでした。
これでは相手の中に入ることはできません。あぁ、違うのだ、とビジョンで受け取りました。
この状態では伝えたいことがあったとしても、その10分の1も伝わらないでしょう。伝えようとしても、伝わりません。意図したことと全く違ったことを相手は受け取ることになります。
コントロールすることはできません。お互いに意識と気づきがあれば、その器の形を変えていくことはできるのですが、その意識がない場合、どうすることもできないし、どうもしない方が得策となるのです。
コントロールしようとすればするほど、自我の世界にはまってしまい、それはまさに泥沼化してしまうのです。
そっと手放す、解放するしかないのです。
そのタイミングが来たら、また交わることになります。もしかしたらそのタイミングなどもうないかもしれません。それも一つの道です。そうであれば、そうなるし、そうでなければ、そうならないのです。
最初であり、最後でもあるところ、心地の良いところ、魂に戻ることだけが、唯一の答えなのです。