瞑想について
瞑想について
様々な物事の根本解決に大いに役立つものとして『瞑想』があると考えています。心を静かにして、体を手放し、その感覚と、時間や空間の感覚までをも手放す作業。それでいて眠っているわけではなく、とても意識的だという状態に在ること。
完全にエゴと決別した状態。至福。愛。
そこには問題は存在しません。
体もないので、病気も存在しません。
そんな状態にあると、人間意識としての体は自在で、病気もいらなくなるのです。卓越したヨギは、瞬間移動や、自らの肉体の死をも自在にコントロールできるというのです。
その境地に至らないまでも、そのエッセンスを垣間見ることは可能です。
病気が治りやすかったり、なりにくくなったり、人にやさしくなったり、微笑むことが増えたり、物事がうまく運ぶようになったり、不安やおそれが無くなったり、怒りや罪悪感が無くなったり、心穏やかにいられるようになったり、たくさんの恩恵があります。
自分の本質に戻る手段として、神に触れる手段として最適なのが『瞑想』です。
どうすれば瞑想できるのか?という疑問が湧いてきますが、一般的には『呼吸に集中する』という手段がよく言われています。呼吸と言っても様々で、できるだけゆっくり鼻から吸い、できるだけゆっくり口から吐く。この一連の動作を繰り返し続ける。人によっては一呼吸一分以上の時間をかけることができます。他にも、鼻から吸って鼻から吐く、やはりこれもできるだけゆっくり。だったり、様々です。
私の場合は呼吸も活用しますが、体の感覚を味わうのが好きで得意なので、その感覚に意識を集中する、という手法を好んで活用しています。片座禅で、手や足や頭やチャクラなどを意識イメージして瞑想に入ります。
他にも音だけに意識を向けたり、匂い、人によっては味覚を活用します。
しかしそれだけでは不十分です。集中と瞑想は違うからです。集中を続けると、やがてその思考がなくなっていきます。最初は呼吸に意識していても、次第にその意識はなくなり、普通の呼吸に戻っています(それでも通常よりはゆっくりの場合がほとんどです)。
人によっては数分、最初私は15~20分くらいで深く入っていったのを覚えています。しかし「あ、今それだ」という思考が浮かんだ時点でソレではありません(笑)
私の師がいいました。「瞑想とは、瞑想し続ける決意をし続けることですよ」と。ややこしいようですが納得できる答えでした。
思考を手放そうと思考を使っている。最初はそのジレンマに戸惑いました。
そんな思考に囚われていたりすると、一時間たっても深い瞑想には入れません。
瞑想をするということは『生きる』ということでもあり、『至福に戻る』ということでもあり、『すでに最初からいた場所に戻る・気づく』ということでもあります。
真理は表面上の言葉だけなぞってわかるものではありません。体験、です。それを表す言葉がないからです。同じ体験をしても、人によって表現する言葉が違ってきます。ときに同じ人であっても、矛盾するような表現を使うことさえあります。それでも、芯では同じことを言っていたりします。
そんなことを、なんとか噛み砕いて皆様にお伝えできればと思っています。