反対意見に対する考察
反対意見に対する考察
そうか、そうか、なんだかわかってきたような気がします。
私と反対の意見の方は、北朝鮮やメキシコやアメリカやトルコなどをみているんだ。理不尽な暴力を見ているのでしょう。
拉致、殺人、テロ。
なんにも非がないのに、殺される。
恐ろしい、恐ろしい、恐ろしい。
確かにそうだ。
恐ろしい。
誰だって死にたくはない。
そうして、同じ目的を持って、真逆の意見を主張するのだ。
私も殺されたくはない。だから、気持ちはわかる。畑に野菜を食べる虫がいたら、殺せばいい。そして、自分の益が守られる。その通り。間違ってはいないかもしれない。
でも、今私は、農薬を使わないことを選択している。殺さず、共存を目指している。例えば、ヨモギを刈らないことで、アブラムシはそっちに向かう。例えば、花を植えることで、ミツバチが集まってくる。例えば、実のなる木を植えることで鳥が集まってくる。
夏が暑ければ、体を冷やすナスやトマトがたくさん収穫でき、夏が暑くなければ、体を冷やすナスやトマトはさほど収穫できない。自然の摂理。
それでも、殺人とそれとは違う。そう思うかもしれない。
それでも、本当の平和を実現するためには、選択肢は『愛』しかありえない。自己犠牲や罪悪感、罪や敵を作ることで平和は訪れない。
それは簡単なことではないかも知れない。でも、気づいている人がどんどん増えている。それを自分自身をもって表現し、そんな人を、私は応援したいのです。