反対意見
反対意見
自分と反対の意見の方には、その方にとっての正しさが存在します。そしてそのどちらが正しい、などとディベートすることは無意味です。
必要なのはディベートではなく、答えを決めその正しさを証明することではなくて、その融合だと思うのです。和解・調和。
話し合うのが一番いい。認め合うこと、尊敬しあうこと、赦し合うこと、愛し合うことが一番いい。
それが難しいとき、相手が何をもとにそう考えているのかを知る努力が必要。その人が普段何を見ているのか、何を聞いているのか、自分もそれを味わってみる。すると見えてくる。なるほど。この観点を知ればその考え方もわかるような気がする、というように。
子供に、怒りをぶつける必要はないと思うのです。
犯罪者に、怒りをぶつける必要はないと思うのです。
他国に、怒りをぶつける必要はないと思うのです。
とても難しいことかもしれません。ときにそれを選択することもあるかもしれません。あまりにひどい症状の時、薬がとても有効であるように。
お医者さんは日夜勉強し、素晴らしい技術を持っています。とても尊敬しています。交通事故にあったならば、すぐさま処置をお願いしたいと思います。
それでも、
それでも、
本当の平和には、武力は必要ないと思うのです。
この、どの程度で薬を使うかが、議論の分かれ目だと感じています。切り傷で病院に行くのか、つばつけとくだけにするのか。
今の傷を、まだ切り傷程度だと感じるのか、大変な事態だと感じるのか。
感性の世界です。
どちらが正しい、ということはありません。
どちらを選びたい、ということがあるだけです。
私は、奇跡を、愛を、選びます。
同じ論点で、相手を批判することなく、違いを、溝を埋めていく努力。そんな健全な話し合いがなされることを望みます。