支えるということ
支えるということ
先日恋愛相談?を受けました。
「支えるって難しいですね(苦笑」
若い女の子からです。
『支える』とは、私の観点からは『愛』の領域です。
自我(エゴ)の領域のものではありません。
ですから、存在として、表現として、『愛』でなければできません。
その子は恋愛をしています。愛もあるけど、恋もしています。
恋は自我の領域のもので、見返りを求めます。
これこれこうしてあげたから、こうしてくれるだろう。というように。
こんなに愛するから、愛してほしい、というように。
それって、苦しいですよね。
まさにその子が直面、体験していることです。
解決策は『愛』
恋を手放しましょう。
傷つくものがあるとしたら、それは『自分』。
自分というものをそっと手放し、
その奥にある、芯に存在する本当の自分・本質・魂・愛・神を体現すること。
すると自然に支える、という表現にもなってきます。
多くの場合、支える、というとき何をするかというと、
おそらく何もしません。
相手が100%の力を自由に発揮できるようにするためにできることがあればする、ということが『支える』ということなのだと感じます。
自分のこと、自分の子供、大切な人、いろんな形で置き換えてみた方がわかりやすいかも知れません。
私の場合、あれこれ口や手を出されるよりも、何か必要なことがあったら遠慮せずに言ってね。いつでも助けるから。くらいのセリフの方が支えられていると観じます。もちろん人それぞれでしょうが。
だけど、そのアドバイスはサラッとだけして、本人にはあまり言いませんでした。若いし、苦しんでいるようで楽しんでいるようにも見えましたし(笑)
必要な学びの機会を奪うことは本望ではありませんし、実はそういうことはできません。私が何を言おうと、その子のその後の行動は決まっていました。
必要であれば、然るときにまた機会が巡ってきます。
今はその恋愛を楽しめばいい(^^♪
結果としていうことができたセリフはソレでした。