私の芯に在るもの
私の芯に在るもの
小学4年生のころ、クラスに暴れん坊がいました。
ドラえもんでいうジャイアン的存在です。
できれば関わり合いたくないと思う子でした。
そう思っていた私に、先生が言ったのは、
「一緒に帰ってあげて」
ということでした。
帰り道も同じで、家も比較的近所でした。
私と帰ることをその子が望んだわけではないと思います。
でも、先生と仲の良かった?私は、その言葉に従うことにしました。
帰るとき、その子を誘い、
その日から一緒に帰ることにしたのです。
それが毎日だったのか、たまのことだったか、
どんな話をしたのかまでは覚えていません。
ただ、その子が帰りにジャンプを買っていたのは覚えています。
そうして覚えているのは、
その子ととても仲良くなれたことです。
私の芯に在るのがソレです。
周りから見たら危ない子。
近づかない・関わらない。とか、
離れる・逃げる。とか、
(自分を守るために)武器を持つ・格闘技を覚える。とか、
いろいろな方法があるかもしれません。
でも、
正反対に思える、
『距離を縮める』『理解を深める』
ということに答えが見いだせるかもしれないのです。
敵を作ると攻(責)められます。
防御を高めると攻撃されます。
勝つことに囚われると負けます。
正義が強くなると悪も強くなります。
陰陽・二元論の『理』です。
敵も罪も怒りも罪悪感も恐れもない世界。
それがあります。
それが真ん中です。
中庸です。
愛です。
癒しです。
真理です。
赦しです。
目の前のことで逃げるべき時は全力で逃げ、
助けを求めるべき時は全力で助けを求めるべきです。
でも、
目に見えるように感じていることに囚われないこと。
もっと自由でいいと思うのです。